規定未到達人

二浪一留、行きつく先は

往生

先日、部屋の隅に積み重ねてある、浪人時に使った(はず)の教科書やノートに参考書、占めて2年分を処分した。教科書はどれもこれも新品のように綺麗で書き込みもなく、ノートは最初の数ページは板書の跡があるが残りは白紙。いくつかの参考書は開いた時にできる折り目すらついてない完全未使用品もあり、改めて浪人時はまったく勉強してなかったことを感じた。
ではこの2年間の回り道が無駄だったのかと言えばまったくそんなことはなく、高校を出て色々な知識を得られたし、当時知り合った者とは今でも連絡を取ることもある。異性含め人と目を合わせて話すことができるようになったのは、この時の人間関係に恵まれたおかげだと信じてやまない。6年間男子校に通っただけでは気付くことのできないことはあまりにも多かった。
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12月になって急に冷え込むようになり、冬の到来を感じさせる。冬は本当に嫌な季節で、学生にとっては否応にも期末試験、受験、進級判定とそれらの結果に向き合うことを強要される時期である。大半の学生はそれを難なく突破していくが、筆者のような知恵遅れは、ここで立ち止まることになる。
そして知恵遅れだった筆者は、ちょうど8ヶ月前に学部棟掲示板の卒業者一覧に自分の学籍番号がないことを確認し、またもや同期とは異なる道を歩むことになった。
ただ試験シーズンに一夜漬けの勉強をしただけで単位を得ようなど、そんな甘い考えは通用するはずもないのだが、それを学んだのは奇しくも大学4年の冬だったのだった。浪人を2年間も重ねて、勉強するために大学に入ったはずが、大学に入って勉強することを忘れてしまったのだ。
それならこの1年間の回り道は有意義に使おうと決心した4月だが、まったくそんなことはなく、この8ヶ月間はただただ休み期間の浪費であった。具体的に何をやっていたのかは後日また別記事にする(かも)として、色々な知識を得るわけでもなく、新たな人間関係を築くこともなく、むしろ人と会話をしなさ過ぎて、たまに話しても目を見て話すことが難しくなった。24歳の学生は、社会に適合すること能わず、そしてまた沼に浸かっていくのだった。
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大学で所属していたとある組織にて、半年間"実行委員長"という肩書きで、春から大学に来る新入生向けの記事を掲載したことがあり、偶然にもそれが残っていた。以下、一部抜粋。
 
""もう皆さん大学生ですよ。大人ですよ。ということは、最後には自分で判断したことで生じる結果は、(納得いくかどうかは別にして)自分で受け止めないといかんのですよ。
そんで、その後悔を次に生かせばいいんです。失敗した後は、次に失敗しないように頑張ればOK、それが自分自身の成長に繋がるのではないでしょうか。""
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哀しいかな、自分で物事を判断した結果留年し、その後悔を何ら生かせていない。当時の新入生に逆に励まされている現状は非常に滑稽である。
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改めてとんでもない経歴を踏んできたなと感じる。失敗した人生だが、それに対するセーフティネットは全てすり抜けてしまったため、それに縋ることはできない。事実、この位置からの逆転成功体験談など見た限り存在しない。世の中には成功談は溢れるほど流れてくるが、失敗談は不要な情報に埋もれて消えていくものだ。
だからこその自立が必要で、これからの4ヶ月間とその後に控えているかもしれない社会人生活に対し、自分なりの真剣勝負を挑んでいかねばならない。知恵遅れが来年そこまで意識が向くかどうかは、また別の話。
 
 
二浪一留、24歳の学生生活。厳しい冬のような1年間だった。今年も年の瀬、そして厳しい、嫌な冬の足音が、近付いてきている。